日本における治験についての問題点

新しい薬物が世に出るとき、それが本当に効果があるのかという評価は必要である.現在の薬物治療は、過去のこのようなデータに基づいている.そうであれば、我々は、自分が特定の病気に罹患したとき、自分の子孫のために、未だ有用性が確定されていない薬物に対して被治験者として積極的に参加、協力すべきだろうか.日本では、多くの薬剤に対して明確な統計処理を行った大規模研究のデータはない.その原因は、適切な統計処理をできる人が少ないためといわれるが、それにつき私見を述べたい.

アメリカでは治験に対する説明は明確であり、治験に参加することを誇りとしている人も多いと聞く.また、治験に参加すれば、医療費は免除され、通常なら高額の相談料が請求される電話相談がいつでも可能となり、外来では待ち時間少なく診察してもらえるという有利性が働く.翻って、日本ではどうだろうか.国民皆保険のおかげで、検査、治療においては自分は殆ど金を払わないため、治験に参加しても金銭的な部分での有利性がない.電話再診料は安く、患者は無料で電話相談が可能と思っている人も多い日本では、アメリカでのような有利性がないかもしれない.また、治験であるにもかかわらず、その副作用をチェックする時、一部の検査は保険内で行うことが多いため、医療費高騰の一因となりえる.説明と同意が必要であるといっても、日本人の感覚としては、治験内容のすべてをあからさまにいえば、患者サイドはこれは人体実験ではないかと疑い、拒否することが多く、現在行われている確立した治療法を選択する場合が多い.

それではどうすればよいのだろうか.治験に参加した人は、他の通常の外来通院の患者に比して、例えば、アメリカのように待ち時間を少なくするとか、3分診療ではなく丁寧に診察するとか、病気以外についても無料で電話健康相談に応じるとかを付加的なサービスとして加えるべきである.

もう一つ、治験に大切なものは、医師と患者の関係であると思う.初対面に近い医師に、いくら論理的に治験の説明を受けても感情的に受け入れられるだろうか?長期の治験中に主治医が何回も変わればどうであろうか?もし、自分が患者であれば治療の結果にほんの僅かな有意差があっても、自分が信頼し、気を許せる先生が勧める治療を選択するだろう.「信頼する先生が勧めるのなら、治療の結果に自分は納得ができる.」という昔気質の人もまだまだ多い.医師がデータとりのために、患者を”もの”とみて治験をするのであれば、誰もついてこない.良好な医師-患者関係があってはじめて治験は可能なものと考える.

もちろん、日本人が苦手とする治験に対する論理的なプロトコール、分析する際の統計的手法を整備するのも大切であるが、それに加えて、上記2点は、留意すべきと考える.